「型」について考える

 今日は「型」について少し書いてみたいと思います。

 小論文を書くとき、何をどうやって書いたら良いのか、困ったことはありませんか?かくいう私は、学生の頃からとても文章を書くことが苦手でした。(正直言うと、今でもあまり好きではありません。)読書感想文、レポート、スピーチの原稿等、書くという行為が本当に苦痛で、「必要なことだけを書く数学の証明のような書き方ですめばいいのに」と常々思っていました。同級生が書いた感想文を読むと、引き込まれる出だし、語彙が豊富で心に響くような表現の数々。私の中のどこを探してもないスペックを見るたび落ち込み、文を書くことが嫌でたまりませんでした。特に小論文の課題を出された時でも、「知識もなければ考えたこともなく、こんなに字数を埋めるのは無理だ~!」と、「とりあえず、課題文に書いてある文言を書きだして字数を埋めよう!字数を稼げる語で書こう!」と、結構姑息な感じで問題に取り組んでいました。(皆さんの原稿の中にも、たまにかつての私の同士を見かけることがあります。同士でしたので、字数稼ぎを見つけるのは得意です。)

 しかし、原稿用紙のルールを守り、字数稼ぎをして何とかマスを埋めたとしても常に付きまとうのは、「自分の考えが伝わるように書けているのか?」という不安でした。意見には正解不正解はないはずなのに、小論文になぜ点数が付くのか、何が評価されるのか、よくてわかっていませんでした。とりあえず、感じのよさそうな(感動を引き出せそうな)言葉で文章を書いていたのです。

 さて皆さん、文を書くときも「型」があるのはご存じですか?有名なところでは起承転結でしょうか。「型」とは、調べてみるといくつも意味がありますが、「芸能や武道などで、規範となる動作・方式」という意味があります。かつて私は茶道を習っていたことがあるのですが、そこでは一番初めの基本の「型」を、訳も分からずひたすら2年間練習し続けました。それは茶道の動作の基本であり、これが正しくできていないのに、次のステップを正しく行うことはできないのです。ある時先生は「型とは、長い間練り上げられ、無駄を省いた合理的で美しいものなのだ」とおっしゃっていました。そうです。「型」とは、「無駄なく、合理的で美しい」、まさしく数学の証明の話を聞いているようでした。おそらく、他の分野も同じでしょう。サッカー、野球、ダンスも、音楽、手芸、美術も、ルールとは別に、皆基本の型があると思います。それを身に着け、そこから自分の得意なものを伸ばし、アレンジして自分の個性を表現していくことが可能となり、そして自転車や水泳のように、一度身についたら早々忘れないものなのです。

 そして、実は小論文にも「型」があるのです。(字数やテーマなどによって適した型がありますので、興味のある方はカンザキメソッドの本等、小論文の書き方について書かれたものを読んでみてくださいね。)小論文の「型」とは、自分の意見や考えを、読み手に無理なく無駄なく伝えるものなのです。私は、小論文に型があることを学んでからは、ネタがあるときは起承転結、あまり書けそうにないときは、頭括型を用いて書いてきました。型があると、「人の気ひく表現」も「やみくもな字数稼ぎ」も「どう書こうか」と悩む必要もないのです。自分が思う意見と理由を、数学の証明のように説明すれば良いのですから。何回か練習していくと、自分の書きやすい「型」がわかったり、テーマによって書き分けたりすることができるようになりました。(賛成反対の意見はあっても、うまく理由が書けないことも多々ありますね。それを引きだすには、コツが必要なのですが、これはまた紙面が必要です。ので、それはまたの機会に。ちなみにカンザキメソッドでは、ここを引き出すことを重視しています。)

 もし小論文が苦手であれば、ご自身の中で賛成・反対の意見があるテーマについて、型にあてはめ書いてみると良いでしょう。「型」を意識しながら書くことは、初めは煩わしいかもしれません。しかし、小論文の型は、ご自身の考えを、「無駄なく」「合理的に」「美しく」伝えるものです。一度身につければ、「この表現はどうかな?」、「自分の考えは十分に表現できたかな」等と、もう思い悩む必要はありません。小論文で大事なのは、感動ではなく、読み手に「自分の意見を伝える」ことなのですから。小論文の「型」は、身に着けるのにさほど時間はかかりません。まずは、シンプルに「意見とその理由」を書く練習から始めてみてはいかがでしょうか。