スポーツから学ぶこと

 私には10月10日と言えば「体育の日」ですが、現在、10月第2週の月曜が「スポーツの日」として定められています。この10月10日は、1964年(昭和39年)に東京オリンピックの開会式が行われた日です。オリンピックの歴史を辿ると、人類の歴史と、このスポーツの祭典の関係性には様々な側面があり、このテーマを掘り下げることもなかなか興味深い…と思いながら、オリンピックに関係した記事をここ数日で多数読みました。

 気が付けばもう4年、息子は空手に通っています。コロナで大会は激減したものの、東京オリンピックに際して、空手界全体が湧いていました。道着の見た目は似ている柔道と空手ですが、柔道は日本のお家芸とも言われ、長年オリンピックの種目で空手は違いました。様々な理由があると思いますが、空手と柔道の大きな違いに、その流派の多様性があります。柔道は、全世界の総本山が日本の講道館であり、非常に明確な体制となっていますが、それに対して空手は、競技として組手と形、防具の有無、寸止め、フルコンタクトと様々な流派や競技スタイルがあります。世界規模の大会としての競技統制が難しかったことも、オリンピックの競技採用が無かったことに関係していると言われています。

 先のオリンピック、空手の形部門で、男子は喜友名諒選手が金メダル、女子では清水希容選手が銀メダルという結果は皆さんの記憶にもあると思います。あの「形」は、見えない敵が目の前にいるという想定の、戦う姿を模したものです。目線の先には敵、身体を引くのは敵の攻撃を避けるため、繰り出す手足は敵を攻撃するため、全ての動きに意味があります。素人知識でも長く稽古を見ていると、空手における組手と形は一体なのだと感じる場面も多々あり、形の堅い道着の擦れる音、気合い、息遣い等、見ている方にも緊張が伝わる、積み重ねられた動きに魅了されているのも事実です。

 空手以上に音楽大好きな息子は、最近、組手を嫌っています。現在3種類の楽器に情熱を注いでいて、指の怪我は嫌だ、形だけやりたいと言っています。そもそも楽器と格闘技の両立に無理があるし、これがどこまで続くのか…と親としては思いつつ、それでも諸先輩方の形に憧れ、あんな風になりたいという息子の気持ちもわかる…と思いながら稽古に送り出しています。

 当初、息子には礼儀を身に付けて欲しいと思い空手を始めました。師範を筆頭に先生方から教えていただいた、挨拶、礼儀等々、オリンピックでの選手の姿には、その心技体の行きつくところを見せてもらったようにも思っています。フェンシングに騎士道、剣道には武士道… 名称は無くても、競技を一つ貫いて磨き上げる選手の方々が持つ精神性、取り組みの姿勢には見習うべき姿があります。それは、スポーツに限らず、どの分野であっても同様ではないでしょうか。一つ何かを貫くことは、大変な努力と積み重ねを要することであり、そういった姿勢は、これからの未来を担う若者にとても大切なことでは無いかと、オリンピックの形の動画を見るたびに考えさせられます。

 2度目の東京オリンピックは、暑さからも真夏の開催が問題視されていましたが、過去の開催が10月だったことを考えると、今くらいの、スポーツの秋の開催が良いのかなと…そんなことを様々な本や記事を読みながら秋を感じ、物思いながら過ごした2022年の10月10日でした。