良い機会と捉えてみる
東です。今回新型コロナウイルス感染症対策のために、学校が一斉臨時休業となり、突然の長期休暇に喜ぶ子どもたちではありました。しかし、実際のところ様々な制限がある中、手放しで喜べないという複雑な心境ではあるかと思います。どのように過ごしたら良いのか、せっかくの機会であるから、何か普段できないことでもしてはどうかと、子どもたちに提案したりもしました。何か好きなことに没頭するのも良いでしょう。自身の先々に結びつくものを発見できる良い機会でもあるのかもしれません。この状況をどのように過ごすのか、プラスに転換できるよう考え、実行していくことが望ましいでしょう。正に、2020年教育改革の目標である「知識だけでなく自分で考えて表現する人間に育てる」という非認知能力を伸ばすということにも繋がるように思います。
さて、自身を見つめ直し、将来に繋げてくことを思案する良い機会として捉えた場合、私は学校で行われているキャリア教育を思い浮かべました。キャリア教育の定義は、以下の通りです。
「一人一人の社会的、職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通してキャリア発達を促す教育」
学校における職業人としての能力の開発。
自分の進路を自分で決めるという主体性の育成。
学ぶことや働くことへの意義を理解し、自分の将来へ繋げている。
向上心を持って学習に取り組む姿勢が育まれる。
そして、こちらに類似しているように感じたのが、保育歴60年の保育士・大川繁子さんの書籍に書かれていた内容です。
「それぞれの子どもが、それぞれ持っている才能や力をめいっぱい発揮する保育」
自分のやりたいことに没頭し、自分の頭で考え、自分の能力を発揮できる(自由に生きる力)と、それに伴う責任を持てる子になっていてほしい。そして、自由と責任を胸に、自立してほしい。自分の人生をよろこび、楽しんでほしい。
このような思いを端的に表し、保育の座右の銘とも言える相田みつをさんの詩が、こちらです。
「名もない草も実をつける いのちいっぱいに自分の花を咲かせて」
これ、幸せの究極のかたちで、子ども達の姿そのものだと思いませんか。みんながみんな、華やかで、大輪で目を引く必要はない。どんなかたちでも、どんな色でも自分なりの花を自分の力で咲かせてほしい。たとえ小さくて地味な花でも、目を留めた誰かを和ませることができたら最高じゃないって、そう思うのです。その子なりの花のかたちや、花の咲かせ方、つまり個性をみつける。
このように比べてみると、保育からもう既にキャリア教育に繋がる要素が育まれているようにも感じました。また、子どもには敏感期があるとも言われています。敏感期とは「これがしたい!」と強く思う気持ちが表れる時期のことです。モンテッソリー教育ではこの敏感期の子どもの邪魔をせず、心ゆくまで打ち込ませてあげましょうと言われています。敏感期とは、なにかに対し強い拘りを見せる時期の事です。まっすぐ成長し、その分野の力をぐんぐん伸ばすために不可欠な段階とも言える訳です。例えば、キャリア教育や進路といったように難しく考えると返って分からなくなってしまうという方は、今一度この敏感期の如く、心ゆくまで打ち込むことのできる良い機会として、このような長期休暇を過ごすというのも一案であるかと思いました。