探究の勘所 志望理由書に関連して

探究活動をしていると、少なからず「うまくいかない」というシーンに出会う。例えるなら、城を作っている途中で何かが足りなかったり、分からないことが出てきたりする。せっかく積み上げてきたものが、崩れていく。そこでもういいやとあきらめてしまっては探究は失敗におわる。(大人が手を貸して、完成させるなんて言うのはもってのほかである)しかし、ここで、どうやって立てなおそうかと向き合えるかどうか。ここからが探究の正念場である。
 

そのときに見直すべきポイントは3つ。テーマ設定、スキル、マインドである。これらの3つは相互に関係があり切り離しては考えられない。それぞれを個別に考えるのではなく、何がうまくいかなかったのかを俯瞰して考える。新たな城づくりに向かうために立ち止まって考えるときである。

知識不足であれば学んだり、調べたりすればいい。経験不足ならその機会をつくればいい。テーマ設定ならもう一度、テーマについての目的や達成すべき目標について見直せばいい。しかし、マインドについてはなかなかふりかえることが難しい。それは、探究をやり続けるためのマインドがそもそも備わっているかが問われるからである。というのは、一度うまくいかなかったことで「やめた」と選択するのも、他者に甘えてやってもらおうとするのもマインドの問題だからである。テーマ設定は良い、スキルもある、しかしマインドが探究をやり抜くという方向性を持っていないと、それは問いを振り返ることも、探究し続けることもできない。


実際に、このテーマのプロジェクトが実現したら多くの人が助かるだろうなという素晴らしいテーマを持っていた生徒がいた。しかし、かれは自分で何かを調べたり、仮説を立てて検証をしたりすることをしないのである。知識不足すら自分で補おうとはせず、すべてを指導者にゆだね、言われた通りにしか動かない。こういうマインドであればテーマ設定とスキルがどれだけ上質なものであっても、探究は進まないのである。


探究の理想モデルは「砂の城を無心につくり続ける幼児」つまり自分の立てた問いへの没頭である。


そのマインドを育むために必要な要素は何か。論理的思考なのか、知識理解思考なのか、クリティカルシンキングに耐える力なのか、夢見る心なのか、忍耐力なのか。それは人によっても状況によっても違う。だからこそ、探究をするうえで「対話」を重ねていき、指導者も生徒自身も丁寧にマインドを育んでいく手順を踏む必要があると考える。自分の問いへ没頭するマインドを育むことこそが探究の勘所であり、21世紀に求められる教育の大きな役割ではないだろうか。