自由に考えてみる
東です。この時期になると恒例である卒園児への葡萄プレゼントを受け取りに、幼稚園へと向かいます。幼稚園や葡萄狩りの行事を思い出してほしいという願いからなのか、温かい心遣いを感じるプレゼントです。そして、あの遊びが仕事だったような頃の記憶が蘇ります。長男は、発熱の際にも、「幼稚園に行きたい!」と泣きながら訴えたほど、楽しそうに自由に遊びまわっていたあの頃を思い出します。自ら選び取れる自由な時間において、存分に意欲的に過ごしていたのでしょう。しかし、中学生になった最近では「自由がない!」という長男の言葉が多くなってきました。皆さんには自由があるでしょうか?そもそも自由とは何でしょうか?国語の辞書には、自由とは「考えや行いが他から縛られないこと」「思いのままにすること」とあります。また、人が他から支配され、規定され、束縛され、その自由を奪われ、消滅してしまうような時に、はじめて意識されるのが「自由」のようです。まさに長男の場合は、学校、部活動、塾と、自分の時間がないということからでしょう。
また、自由といえば、夏休みの自由課題といったものも思い浮かべるでしょう。自由と聞くと、一見嬉しいように思われます。しかし、こういった類の自由に関しては、一から自分で考え、やり遂げなければならないということになります。これをやれば正解というものではなく、またどの程度やればよいという基準もない訳です。各教科の勉強であるなら、既に正解がある問いに対して、自分の記憶を元に答えを出します。しかし、この場合は勉強とは異なり、自ら仮説を立て、それを検証し、実行していくという学びとなります。自分の知識を総動員して、その仮説が本当に正しいのかどうか様々な面から分析するという、思考力や判断力が求められることもあります。答えのない問題に対して最後まで粘り強く考え続ける力、忍耐力が必要となる訳です。そして、大学での研究は、まさに勉強ではなく、学びを突き詰めていくことにあるでしょう。未知のものへの挑戦であり、誰も考えもしなかったもの、思いつかなかったものを徹底的に突き詰める場でもあります。
皆さんも、多忙な日々を送っていると、本来自分は何をやりたかったのかが見えなくなったり、ぼんやりとしてしまうこともあるかもしれません。そのような時は、ぜひ考えを自由に遊ばせてみてください。幼い頃のような自由な発想といったところでしょうか?過去を遡ってみて、どのようであったのかを探るということでもよいかもしれません。志望先を選択する際には、小学校、中学校、高校とは違い、自由に進路を選ぶことができるのです。そして、自分自身が自由に選び取った分野に身を置けることになります。「~すべき」という場から、「~したい」という人生観にシフトしていくというイメージでしょうか?自分がどのような人生を歩みたいのか、そのためには何をしたいのか、そして、その目的のためにどうしたらよいのか考えてみましょう。そして、自分自身を自由にし、自分は何が好きで何をやりたがっているのかを、明らかにできるとよいでしょう。