夏休みを有意義に②
こんにちは、高山です、毎日暑いですね。色々と予定が不規則になる長期休みでは、どのようにその日を過ごすのかについて自分に決定権が生じることが多いと思います。友達と遊んだ、映画に行った、部活動の大会、親類の家に行った、花火大会があった等、カレンダーや何かの行事をきっかけに昔のことを思い出すことはありませんか?
我が家では子供が夏休みに入り、まず着手したのが宿題と休み中のスケジュールの確認でした。自分の仕事、家族のスケジュールを確認して子供と一緒に一覧表を作りました。子供からすると、表になったことで「いっぱい遊べる」意識が高まったようですが、そんな中、家人と「夏休みの宿題はいつやったか」という話になりました。いつからそうなったのか記憶にはありませんが、少なくとも中学以降の記憶として8月の後半にかなり焦って溜め込んだ宿題をしていた記憶があります。そんな私に対して家人は「もらったら即やった、早くもらったものだと夏休みに入るときにはもう終わっていた」と。「先までとっておく意味もわからないし、早く終わらせる以外の選択肢があるなんて考えたこともなかった」と言っていました。全くの正論を突き付けられたのですが、改めて思い出してみると、中高校時代の私はやっぱり夏の終わりに慌ててやっていたという記憶ばかりで、家人が言うような夏を過ごしたことはありませんでした。ただ唯一、高校2年の夏は、結果として同じになりましたがスタート時の意気込みが違ったということを思い出しました。
当時、教科書無し、板書無しという名物先生が担当の倫理の授業があったのですが、聞き逃したら最後という授業の中で先生がおっしゃった言葉をいくつか、今でもはっきりと覚えています。その一つに「人は、今、この瞬間から生まれ変わることのできる存在です」というものがありました。たまたま、その講義を夏休み前に受けたのですが、自分なりに「よし!この夏は今までの自分と違う過ごし方をする!」とその言葉に支えられ取り組み、親友に「もう〇〇は終わった!今年は頑張ってみた!」と伝えたことも思い出しました。結果として、大の苦手であった数学のワークが残り、最終的にはいつもの夏休みと同じになってしまったのですが、今も何かの折に触れて倫理で学んだその言葉は私の支えになっています。古い話で、当然記憶違いもあるとは思いますが、自分の昔の夏休みのことを思い出し子供に様々なエピソードを聞かせるきっかけとなりました。家人と自分で、ありとキリギリスの童話のような例えになって伝わってしまいましたが、大人になり、自己選択で過ごす今の自分の生活に対して「まだ頑張れる!」と励みになったことも事実です。
勉強が嫌になったり飽きてしまったり、塾通いに疲れてしまったり、この夏はきっといろいろなことが皆さんにもあると思います。第一には健康管理ですが、前だけ見て進めなくなった時など、少しだけでも前の自分はどうしていたのかを思い出し顧みてみると、今の自分の励みになるかと思います。そしてご家族の学生時代の話などを聞いてみるのも楽しいかもしれません・・・。