常識の違いに目を向けてみる
東です。先日、中学校の保護者を対象にした教育課程評価説明会に出席しました。その際に、教科目標、指導目標、観点別評価規準など、各教科の説明があり、中でも技術・家庭科については、特に時代の変化を感じる興味深いものに思われました。かつて、男子は技術、女子は家庭と分かれて別の授業を受けていたのが常識という時代がありました。しかし近年は、男女関係なく、すべての生徒が同様の内容を学ぶのです。時代の変化と共に教育の常識も変化しているのでしょう。
1969年版学習指導要領では、男子向きカリキュラムとしての技術(製図、木材加工、金属加工、機械、電気、栽培)は、主に第2次産業に従事する技術者を育てる内容です。女子向きカリキュラムしての家庭(被服、食物、住居、保育、家庭機械、家庭電気)は、生活に係わる内容です。男女平等とは言い難いということが分かるかと思います。そして、1993年度の学習指導要領改訂により、技術・家庭科における男子女子の履修範囲の差異の規定が消失し、男女同一カリキュラム化となり、さらに時代の変化とともに2008年に学習指導要領では、技術(材料と加工、エネルギー変換、生物生育、情報)、家庭(家族家庭と子どもの成長、食生活と自立、衣生活・住生活と自立、身近な消費生活と環境)と改定されました。このように、技術・家庭科の教科一つをとっても、常識の変化を感じるでしょう。以下の教科目標にもあるように、私たちの日常の生活に係わる内容なだけに、その影響は大きいのかもしれません。
〈技術分野〉
生活に必要な基礎的・基本的な知識及び技術の習得を通して、生活と技術の係わりについて理解を深め、進んで生活を工夫し創造する能力と実践的な態度を育てる。
〈家庭分野〉
生活の営みに係わる見方・考え方を働かせ、衣食住などに関する実践的・体験的な活 動を通て、よりよい生活の実現に向けて生活を工夫し創造する資質、能力を養う。
近年、共働きの家庭が増え、男女関係なく協力し合い家事・育児を行うものということが常識になりつつあります。しかし、かつて男女の差異のある教育を受けた者にとっては、違和感があり、常識としては呑み込めないのではないでしょうか?もちろん、教えられてもいないのに、こうすることが当たり前のような物言いもできないでしょう。そもそも、当たり前、常識が違うのです。一律にこういうものだと教育を受けてきたのであれば、当たり前のようにやるでしょう。ただ教育は、変わってきてはいるものの、かつての教育を受けた両親の元で育てられると、常識としての定着はまだまだ難しく、その教育を受けた者が親になった時に常識となるのかもしれません。
このように常識は、各家庭においても、時代によっても異なってくるでしょう。この常識と類似した事例を小論文添削でも目にすることがあります。「普通は」「普通の○○」というものです。先程の常識と同様、自分自身が思い描く「普通」が必ずしも他の人と同様とは限りません。自身の常識や普通、要は当たり前と思っている内容であるために、説明をせず一言で終わらせてしまうのでしょう。ゆえに、先程の技術・家庭科のような様々な事柄において、それでは不十分であるということを認識し、それを踏まえた上の説明を心がけたいものです。