「思いやり」とは
東です。最近、「思いやり」ということを改めて考える機会がありました。「自分の価値観」をテーマにした小論文添削の際、数人の生徒さんによって書かれた文章を見たことがきっかけです。自身を振り返り、思いやりという言葉を、よく耳にすることはあるものの、あまり深く考えたことがなかったように思います。ある意味、人間関係において当たり前のようにも、感じていたからかもしれません。しかし実は、子育て関連の本や雑誌では、重要な事、大切な事として取り上げられているのです。
育児中の親への質問に「どのようなお子さんになってほしいですか?」という問いがよくあります。その際に「思いやりのある子になってほしい。」という答えはよくあるかと思います。では、どのように思いやりについて教えるのでしょう?勉強、スポーツ、稽古事は、お金を出せば教えてもらえるところはいくらでもあります。しかし、思いやりのある子に育ってほしいと思った時、どのようにして、子どもに思いやりの気持ちを教えるのでしょう?子どもの心に、何もせずとも突然思いやりの気持ちが芽生える訳ではありません。やはり、思いやりのある人の傍にいて、思いやりのある姿をたくさん見て育つことによってでしょう。価値観に、思いやりを挙げられた方は、周囲にそのような環境があった中で育まれていったと言えるかもしれません。
では、思いやりと言う感情は、どのような感情なのでしょうか?人の気持ちに共感する感情であるといってもいいかもしれません。人の喜びを本当に、その人が喜んでいるように喜んであげる、人の悲しみをその人が悲しんでいるように悲しんであげられる、このようなことが、思いやりであり共感なのです。恐らく、この共感という感情や感性は、家族や周囲の人々から一方的に与えられることによって芽生えて、本当の友達との関係でも磨き、育ち合うようになっていくかと思います。それが他人への共感性、人間関係を読み取る力となり、学校や職場、人付き合いでよりよい結果が得られることが期待できるのです。
そして、健全な社会であるためには、親切で思いやりのある人々を育てなければならないでしょう。そうでなければ、社会が機能できなくなります。今日我々が目にする問題はどれもある程度まで、他人に気遣い、共感する能力が不十分であることが根本的な原因なのでしょう。要は個々の思いやりが、社会に影響を与えるといってもよいくらい、実は重要なのではないでしょうか?これらは、よく志望理由書で言われるところの「将来、大学での研究内容を、どのように社会に向けて還元していきたいのでしょう?」ということに通ずることにもなるかと思います。他人を助け貢献するという思いやりは、他人の生活にどれだけ影響を与えるかといった仕事の重要性、仕事のやりがいへと繋がり、それが仕事の成果へと繋がっていきます。一言で「思いやり」といっても、日常的な気遣いから社会貢献までといったように、その重要性について、幅広く奥が深いということが言えるかと思います。