私の志望理由の構築の実際(2)
代表の神崎です。
昨日上げた記事を読んだ方に、「神崎先生がやっているのは、可視カフェと同じような感じなのですか?」と問いかけられました。可視カフェでは、ずっと対話して、キーワードとイラストでまとめてくれて、とりとめもない話を聞いてもらえるとのこと。
あとで振り返りをすると、次の日、自分が何を大切にしているか、何が得意なのか、何をやりたいのか、何がこれからできそうなのか見えてきて、A42枚に自分のことをまとめてスラスラと書くことができたそうです。「対話は大切だな〜と感じました」とのこと。
ただ、私がやっているのは、「いまある自分」の可視化というよりかは、いまある自分をもとに「どう未来を描くか」、なんです。私の思考の大前提は「能力は後天的に開発できるもの」です。「何がこれからできそうか」は、能力は開発できるものだと捉えるなら、高校生にとってみれば無限にあるんですよね。
「いまある自分」から「何がこれからできそうか」を考えると、今の自分によって可能性を規定してしまうな、と。現実問題として、私のもとへやってくる受験生の多くは、なんとなく学部・学科を決めてやってくるんです。
そうすると、「いまある自分」を可視化して学部・学科を直結できるケースもあれば、外部要因(偏差値、親に言われて、雰囲気などなど)で選んでいることもあって。
後者の場合、「じゃあ、自分に素直になって、学部選択やり直し!」みたいに言えないタイミングのこともあるんですよね。
でも、その状況の中で、どう進学先の学びを肯定的に捉えるのか、というジレンマに陥るんです。そのとき、「能力を開発すればいい」となるんです。いまある自分を素材に、ストーリーをつくってみよう、と。ただ、そうすると「私、これ苦手」とか「思ってたのと違う」とか言い始める子も出てきまして。そういうときは、その学びに向き合うのか、逃げるのかは、自分で決めなさい、と。
これがあなたが私のもとに来る前に歩もうとしていた人生の末路だし、そこに向き合わないでどうするの?と問いかけます。この問いかけが「神崎先生は厳しい」と言われるところの一つなのかもしれません。
つまり、「ちゃんと向き合いなさい」という問いかけが、高校生にとって苦しい問いかけなのでしょうね。