「書く」への取り組み

こんにちは、高山です。

先日、高校入試の小論文を一緒に勉強してきた姪っ子が無事に志望校に合格したという報告を受けました。高校入試だし、推薦入試だし、内申点はかなり余裕があるし、多分大丈夫だとは思うのだけど…と姪っ子母から状況は聞いてはいたのですが合格の一報をもらい、私もホッとしています。

姪っ子の住まいは広島で、広島の高校受験の傾向も詳細も私は知りませんので、本人が通う塾からもらったというたくさんのお題を片っ端からやろうと取り組みました。姪っ子が答案を写メして私宛に送り、それを添削して返送というやり取りでしたが、間を空けずに答案は送られてきましたし、何より熱心に誠実に取り組んでいましたので、私も対応には熱が入りました。

顔を見ない文字中心のやり取りということ、なりより親戚のオバチャン相手という気楽さもあると思いますが、非常にストレートに小論文に取り組むに当たっての苦手意識や不安、愚痴、テーマの得意不得意などについても送られてきました。中でも私が一番考えさせられたのが「小学校で感想文は教わって書いたことがあったけど、ちゃんと文章を書くって習ったこと無いのに急に、はい小論文書きましょうとか言われてホントに困った」という主旨の内容でした。また「学校でも塾でも、問題もらって、書いて、出して、チェックされて終わりだったから自分の文章が上達したかとか、何がダメなのかとかいつも謎のままだった」とも。

実際、国語、特に文章を書くということをいつ、どのように教わったのかというと私も思い出せません。私自身は、カトリックの中高で過ごし何かにつけて、お祈り、振り返り、感想、反省文を書かされ、たくさん書いた結果として書くことに抵抗感が無くなったということが大きかったと思っています。文章を書くHOW TOについては様々な情報がありますのでここでは触れませんが、個人的には話す、読む、書くはセットだと思っていますし、適切な文章を書くためには適切な熟語を用いることが必須であると思います。よって、意識して語彙力をつけようと言う心がけが重要であると思っています。そして、小論文や志望理由書の添削をしていて「この表現を熟語で書き換えたら使うマスが減って、もっとたくさん掛けるのに」と思うことが実際よくあります。

自分が書いている文章が整っているのかを書きながら自分で判断することはなかなか難しいですが、意識して文章を読み、言葉を意識しながらたくさん文章を書くことで自然と書く文章も変化してくるのではないでしょうか?次に文章を書く機会があったら、ぜひそれを保管してみて下さい。そして、半年?一年?後に読み返してはいかがでしょうか?

ちなみに姪っ子の小論文は、海洋汚染がテーマだったそうです。偶然にも試験前日、ごみ問題について書いた最後の答案を添削して、そこにプラスチック製品と海洋汚染、環境の問題について例を挙げ伝えたのですがピンポイントで出題されたとのこと。聞いて、小さくガッツポーズしました。