本年度最後の授業と雑感
代表の神崎です。
昨日は今年度最後の高3指導。
恒例の発散と収束。
その後、最も大きな学びをこの中から選んでほしい、とオーダー。
そうしたら、選んだのは…
「疑う(問う)こと」。
彼曰く「ここに来るまでは問いなんて抱くことはなかったけれど、なんだかんだで探究は問いから始まり、問い続けることに尽きる」。
なるほど、さすが。


その後、弊塾に来て成長したところや感想をざっくばらんに話してもらった。
- ここに来て1ヶ月で最初の受験を迎えたが、まだまだ自分自身の探究ができていなくて、精一杯だった。でも、3ヶ月も通うと、試験会場であっても設問の意図を理解したり、色々切り口を考えられたりするようになった。何が来ても答えられる。
- U理論やシステム思考を学ぶことで、物事を俯瞰して、深く考えられるようになった。
- こんなに考える塾はない。たぶんリベラルアーツというのはこういう学びなんだと感じた。
- (海外経験がある僕にとって)日本の教育は等しく同じように学ぶことが衝撃的だった。アメリカでは飛び級もある。だから学びたいことを学ぶし、年齢差などはあまり意識しない。この塾では対話のスタイルを取っているけれど、かなり海外の教室の感覚と近い。いい学びになった。
※注 彼は帰国生。中学3年までアメリカに在住し、今は県立高校に通っている。自然とリベラルアーツという言葉が出てくるのはさすが。ちなみに私はリベラルアーツをやろうとはあまり意識していない。受講生と問題や課題を一緒に追うと、だいたい事が複雑に絡み合うので、周辺領域も取り扱うことになるし、価値観の領域まで潜り込むと、哲学や歴史的文脈まで触れざるを得ない。結果として領域横断型の学びになり、リベラルアーツの色を帯びてくるようだ。この言葉は、嬉しい限り。
よく高校生には「神崎先生は色々なことを知っている、すごい」みたいに言われるが、全然そうではない。私も全ての領域に明るいわけではない。
常に目の前の高校生の問いを一緒に追いかけているから、「知っている」ように見えるのだろう。
※注 思考コードでいうと、私はC軸(創造的思考)とB軸(論理的思考)の境目に立っていると自認。B軸はLECで法科大学院適性試験の指導をやっていて死ぬほど鍛えられた。一方でA軸(知識理解思考)は昔から弱い。暗記が苦手で苦手で…
受講生は違う探究課題を持つので、私も人数分の探究をすることになる。毎年受講生が入れ替わるので、毎年知らない世界を覗くことになる。これがなかなかスリリング。だから、その積み重ねが効いている。
例えば、元々スポーツは得意ではなかったが、おかげでオリンピズムや動作解析やコーチングやスポーツ政策にも明るくなってしまった。
「神崎先生は本を沢山読むんですか?すごく知識を持ってますね」と言われることもある。
でも、私はそんなに本を読んでない。いや、語弊があるかな。読んでいるけれど、情報収集はネット中心。
新聞は購読せず、ウェブメディアを読む。NewsPicsとHuffpostがメイン。
気になることを見つけたら、Wikipediaとマニアのブログを見ると早い。
アカデミックな世界に近づくために、GoogleスカラーとCiNiiで論文検索。
もっと手っ取り早く学ぶなら、TEDとYoutubeの活用。
だから、新聞と書籍は、実のところあまり読んでいない。
ウェブ9:新聞と書籍1くらい。
だから、個人的には「新聞と書籍を読め!」という小論文指導はピンとこない。形式に拘り、一般論として片づけてしまう主張は、そもそも怪しい。
※補足 ブロガーが書評を上げていることが多いので、時間がなくて読みたくても読めない書籍については書評を先読みし、後で時間があるときにじっくり読書する。
ところで、受講生を観ていると、中にはなかなか火がつかない高校生もいる。残念ながら。
そういう子のよくあるパターンは…
- 先に大学ありきで選択した(すでに出願したあとに弊塾にきた)。
- 探究の過程で壁にぶつかったとき、『これは自分の興味・関心とは異なるから、つまらないのだ』と、問題をすり替える。
- 『大学は高校と比べて自由で楽しい場所だ』『オープンキャンパスできれいな校舎を見た、明るい雰囲気だった』と憧れだけで進学を希望している。
- やりたいことは大学に行けば見つかると信じている。
- 大学に入れば就職が有利だと思っている。
- 就きたい職業が決まっているから、それを目指すためには入学しなければならないと思っている。内心では「学問?なにそれ?」の状態。
要は、キャリアビジョンとアカデミズムが交差していない。その阻害要因は、情報不足、キャリア形成の軽視、そして憧れから脱却できていないことを自認しない点。
でも、不思議と一度火がつけば驚くほど走り抜く。
この姿を見た親御さんはいつも驚く。「うちの子がこんなに学ぶ姿、見たことない」と。
しかし、それは当然。彼ら彼女らは学びたいのだから。
主体性というのはこういうものだ。
みずからの人生と未来とアカデミズムの交差点。
世界の裏側を覗き、その複雑さに驚く。
それを学問の力とアート思考やデザイン思考でどう紐解くか。
結局、みずからキャリアと未来をつくろうという内燃機関を内蔵することが肝なのだ。
そして、たまたま前回付箋でリフレクションした受講生が遊びに来たので、一緒に振り返る。
受講生二人は「やっぱり似てる過程を踏んでるから、学んだことも似てるね〜」とのこと。
そんな彼の振り返りの様子はこんな感じ。


二人とも最高の高校生だ。
幸せな世界を築いてほしい。