プロと自称プロ
代表の神崎です。
懲りずにマニアックな記事を思うがままに記していきます。
今回はプロと「自称」プロの違いについて、綴ってみようと思います。
最近、この違いを考える機会が多くありまして。
それにあたり、私の大学受験の話をしてみようと思います。
私自身、大学受験を今で言う学力型AO入試で受験し、合格をしました。これが私の原体験にあたるでしょうか。1996年の頃です。
私が実質的にAO入試指導を始めたのが、その1年後。
ただ、そんな仰々しい話ではないんです。
知人が「法政大学法学部の論文特別入試を受験したい!」という高校の後輩を紹介してきて、アドバイスをしたんです。
当時はAO入試専門の塾はなく、学校で大した指導を受けられず、自力で攻める必要がありました。
私も国語の先生に指導は受けましたが、現役のときには見事に玉砕し、担任には「俺があんなに推薦書書いたのに、落ちるなんて何やってんだ!」みたいに怒られ、散々でした。
私も困っていましたし、多分彼女も同様の思いだったと推測します。
そうした相談を受けたとき、せっかく自分で合格を勝ち取ったので、その時のポイントになりうるものを整理し、一つずつ書類に盛り込んでいった記憶があります。
それが、実質的に私のメソッドのプロトタイプになりました。
おかげで彼女は現役で法政大学法学部政治学科の論文特別入試に合格しました。
ただ、今の私のメソッドにはもうその頃の原型はありません。
都度仮説と検証を重ねているからです。
これがプロの姿だと信じて、日々生きています。
一方、最近とある経験をしたのですが、考えてしまうことがありまして。
神崎さんの合格テクニックを伝授してください、という話がボチボチあるんですね。
教員研修会だとか、インストラクター育成だとか。
でも、結局のところ「技術をパクらせてください」なんですよ。
ここに違和感を覚えるんです。
私は言いたいです。
自ら仮説立案と検証をしない人と話をする時間は、私にとっては無駄の何物でもありません。
プロなら自分でそういうことをするし、私もまだまだですが日々研鑽しています。
自称プロはそこを、資格や肩書きが付いただけ、研修を受けたという既成事実を得ただけで満足したがるんです。
そして、それらを求めて私の元へやってくるのです。
もっと酷いのは、そのパクり技術を自分のオリジナルかのように語る指導者です。
某AO入試対策塾ではそれがトラブルになっています。
私の周りの指導者たちに被害者の会ができたくらいです。
そうしたパクりを大学生チューターに伝授し、しかも実質的に三次利用になっているので、指導の質も担保できなくなっています。
こうなると、指導している大学生のプロ意識に委ねざるを得ないなぁ、と。
私が思うに、プロならプロの互いの人格や指導を尊重し、高め合う人間なのだと思います。
私はそうありたいと思っていますし、そのカケラを感じない指導者とは積極的に関わりあうことはありません。
教育業界ではそういう品のないパクり合いが頻繁に起こっています。
それが大手でも平気で起こります。
高校内での小論文添削業者の教材のパクり合い、大手がベンチャー企業のソフトウェアのアイデアをパクって訴訟を起こされたりする姿を見ていると、がっくりします。
前述の某塾では大学生に他社のテキスト収集と講義録音を依頼させたりしています。研究ならいいのですが、そのまま流用という流れが見え、実際に某塾が出版した参考書にはその形跡がチラホラ見えます。
そんなの、プロが見ればわかるんだから…パクりって。
総括です。
プロは仮説と検証をする。
自称プロは他者の技術をそのままコピーする。
プロかどうかを見抜くのは難しいですが、多くの自称プロは書籍や参考書からパクるので、大体わかるもんですよ。
ちなみに私の出身校は、何の特徴もない、自称進学校。
現役合格者のボリュームゾーンは神奈川大と関東学院大くらい。
G-MARCH現役合格者などほぼいませんでした。指定校推薦も中央大の商学部がトップでした。
そこに2年連続法政大学法学部の合格者が出たわけです。
翌年から法政大学から指定校推薦枠が増えました。
母校に貢献できてよかった。